1. 4735.匿名 :2024/05/07 (火)00:16
    >>4734

    練習生を選ぶ過程から問題だったんです。 なぜなら、考えてみると、そのSource MusicにGFRIENDというチームがあったじゃないですか。 皆さん、私が正確に言いますが、ヨジャチングというチームが解散したのは私とは全く関係ありません。 なんでしきりに私に何か解体何かがある、私の関与も…。. 私はソースミュージックだったこともないし、私はもともと他人に興味がありません。 私の仕事しか。 ただ私は会社も仕事に通う所であって、友達を作りに通う所だとは思わないんですよ。 誰かと仲良くなろうともあまり考えていません。 私は会食もあまりしないし、お酒も飲まないし、ゴルフもしないし、そのまあ、余興として楽しめるようなものを元々楽しまない人です。 だから、えっと… 練習生たちがいると聞いて、とにかく…. まあ、私がちょっとしどろもどろでも理解してください。 僕がもう… 話をしすぎて、あれだから。[19]

    でも…。 もう女子練習、女子練習生がいるということで”そう、早く出せるよね”と思って今見たんですけど、悪いことにSourceにいた女子練習生の中には…。 私が選抜できる友達がミンジしかいなかったんです。 残りの友達は練習がもっと必要だったり、年齢が高すぎたり、私と少し合わない友達なので、私が選抜できなかったんです。 それで、ミンジだけど、私たちが合作プロジェクトをする時、この人はその時すごく幼かったし、練習をもっとたくさんすればはるかに良くなるだろう。[20]

    そのミンジが幼いころ…。 すごくきれいでした。 今よりずっと… もっときれいだったので、ただ… あ、この子ではもう何かできるという考えがあったし。 それで、その次はまたキャスティングをしなければならないじゃないですか。 でも、どうやってキャスティングするの。 GFRIENDが作ったこのチームでは正直言ってちょっと申し訳ないんですが、これはブランディングがうまくできていないレーベルなので。 これを見ては入るのが大変で。 まだその… ハイブが作られる前だったので、私は実はブランディングがとても重要だと思う人で、志願する人たちがそのようなことをすべて見ると思うんですよ。 だから? 私たちが掲げた、HIVEでちょうど私に主張したタイトルが一番目、ミン·ヒジンガールズグループ。 え?ミン·ヒジン、SMから移った… あ、ハイブローに来たミン·ヒジン、いったい何の仕事をするのだろうか。 この疑問を誘発させる。 そして、えっと… 男性だけだった、BTSをこうして興行させたビッグヒットがサポートしてくれる、あれ、ちょっと変な絵。 だからこの… この組み合わせを当然… 気になっていると思うので、私たちがその合作を「そう、これもただ意味がある」と今始めたので、今それを基盤に私がそのオーディションを、もうブランディングをしたんですよ。

  2. 4737.匿名 :2024/05/07 (火)00:17
    >>4735

    でも実はオーディションをブランディングすることはありません。 普通は先輩の顔をこうやってぶつけて、会社の名前をつけてオーディション。 こうして先輩を見て入ってくるようにして、私たちには先輩がいなかったじゃないですか。 だから私が自らブランディングをしなければならなかったし、そのためにはもう「私たちガールズグループが追求するどんな方向性をオーディションにも入れてブランディングをしなければならない」という考えでブランディングをしたんですよ。 それで、それを見て入ってきた友達の中から選ばれた友達がハニです。 それでハニは見てすぐに 「この子はすごく可愛くて能力がある」 ハニがとてもtalentedした(才能のある)友達なのに、とにかくそれでハニをキャスティングすることになり、その次に私たちが残りの友達をキャスティングしなければならないのですが、実は不思議なことにその時志願者がとても多かったのですが、選抜できる友達が実は本当にいませんでした。 そんなにたくさん来たのに。 それで残りの3人の友達は… これからミン·ヒジンガールズグループ、そしてハイブの最初のガールズグループだ。 Big Hitの最初のガールズグループ… いや、ハイブです。 HIVEの最初のガールズグループだ。 このタイトルでキャスティングを別にしたんです。 それでキャスティングをした友達の中に私とシヒョクさんとソンジンさんがこんなに適当に気に入った友達、こんなにちょっと絞った友達の中にダニエル、ハリンがいたこと… 最後にヘインが入ってきたので。 [22]

    それでその状況で… 私は私がクリエイティブを担当するので、実はキャスティングでも私が少しこう、それがあったんですよ。 これが主導権というのはちょっとあれだけど。 私はここで絶対加減をしたくありません。 ある事実をそのままお話したいんだけど。 ちょっとした… 雰囲気上、仕事をする時に主導権をこうするじゃないですか。 その主導権が私にあったし。 それで私がちょっと強力に、あぁ… 今、ニュージーンズ以外の友達も その時練習生としていました。 でも、それでもこのニュージンスの友達でどうにかちょっとやってみたらいいんじゃないか、もうこういう考えがあって進行していたんですけど、これがコロナが起こってから、そしてシヒョクさんと私と異見が多くなって、シヒョクさんが急に私に電話して”オ·ヒジンさん、私何の音楽をすればいいのかよく分からない”と。 コンセプトは何かあるかと聞いて、私が「え? これはお互いに合わせること….” 私は実は考えたことがあったんですよ。 その当時、Attention、HypeBoyの曲が 全部あったし。 私が考える、最初からその企画書自体が…。 その私がただ別にここに来て作った、適性のある企画書があったので、「え? 私はこうすればいいと思うけど?」これがありましたが、シヒョクさんはそれがそんなに好きではありませんでした。 「あ、これはあの当時に…。.”